一、この法律は何のためにあるか
正式名称は「犯罪による収益の移転防止に関する法律」。略して犯収法、または犯収防止法とも呼ばれます。
二〇〇七年三月に成立・公布され、翌二〇〇八年三月一日に全面施行されました。目的を一言でいえば、マネー・ロンダリング、つまり資金洗浄と、テロへの資金供与を防ぐことです。
犯罪によって得た収益を合法的な資金と混ぜて「きれいに見せる」行為を封じ込めるため、金融機関をはじめとする特定の事業者に対して、本人確認・記録保存・届出という三つの柱を義務として課しています。
法律の背景にあるのは国際的な圧力です。FATF、正式名称「金融活動作業部会」という国際機関が、加盟国に対して資金洗浄対策の強化を求めてきました。二〇〇三年に改訂されたFATFの「四〇の勧告」では、金融機関だけでなく、不動産業者・貴金属商・宝石商・士業者なども規制対象に含めるよう求められました。この勧告を受けて日本が整備したのが、この法律です。
従来は「本人確認法」と「組織的犯罪処罰法」という二本の法律で対応していましたが、犯収法の施行によって一本化され、対象業種も大幅に広がりました。
二、主要な定義
犯罪による収益とは何か
法律の定義によれば、「犯罪による収益」とは、組織的犯罪処罰法第二条四項に規定する「犯罪収益等」、または麻薬特例法第二条五項に規定する「薬物犯罪収益等」を指します。
具体的には、犯罪収益そのもの、犯罪収益から生じた財産(果実・対価・転換財産)、そしてそれらと通常の財産とが混ざり合った財産、これら全てを含みます。つまり、一度でも犯罪収益と混ざった資金は、たとえ大部分が合法的な資金であっても「犯罪による収益」として扱われる可能性があるということです。
特定事業者とは何か
犯収法の規制対象となる事業者を「特定事業者」といいます(法二条二項)。
銀行・信用金庫・保険会社などの金融機関を中心に、宅地建物取引業者、貴金属等取扱事業者、郵便物受取サービス業者、電話受付代行業者、弁護士・司法書士・行政書士・税理士などの士業者、ファイナンスリース事業者、クレジットカード会社なども含まれます。業種は非常に広範囲にわたります。
なお、弁護士については、疑わしい取引の届出義務については弁護士法の守秘義務との関係から除外されていますが、それ以外の確認義務は課せられています。
特定業務・特定取引・ハイリスク取引の三層構造
特定事業者が行う取引のすべてが義務の対象になるわけではありません。以下の三層構造で整理されています。
まず「特定業務」。これは特定事業者の義務が発生する業務の範囲そのものを指します。
次に「特定取引等」。取引時確認が必要となる取引で、「特定取引」と「ハイリスク取引」の二種類から構成されます。
「特定取引」はさらに「対象取引」と「特別の注意を要する取引」に分かれます。対象取引とは法七条に列挙された基本的な取引です。特別の注意を要する取引とは、二〇一六年一〇月一日から新設された類型で、マネー・ロンダリングの疑いがある取引や、同種の取引と著しく異なる態様の取引がこれにあたります。
「ハイリスク取引」は、マネー・ロンダリングに用いられるおそれが特に高い類型です。なりすまし等が疑われる取引、イランや北朝鮮など特定国居住者との取引、外国の重要公人いわゆる外国PEPsとの取引(二〇一六年一〇月一日から追加)がこれに該当します。
実質的支配者とは何か
法人との取引においては、単に法人の代表者を確認するだけでは不十分とされ、「実質的支配者」の確認も求められます。実質的支配者とは、法人の議決権の四分の一超を直接または間接に保有する個人などを指し、実際に法人を支配している人物を把握することが目的です。ペーパーカンパニーや複雑な持ち株構造を通じた資金隠匿を防ぐための規定です。
三、特定事業者が負う三つの主要義務
第一の義務 取引時確認
顧客と特定取引を行う際に、本人特定事項・取引目的・職業または事業内容・実質的支配者を確認する義務です(法四条)。
個人の場合、本人特定事項は氏名・住居・生年月日の三点です。法人の場合は名称・本店または主たる事務所の所在地が対象となります。
確認方法は対面・非対面で異なります。対面では運転免許証・パスポートなどの本人確認書類の提示が基本です。非対面では書類の写しの送付や、近年はeKYCと呼ばれる電子的本人確認が広く活用されています。
第二の義務 記録の作成と保存
取引時確認を行った場合は確認記録を、特定業務に係る取引を行った場合は取引記録を、それぞれ作成し保存しなければなりません(法六条・七条)。
ここで印象的な数字が登場します。保存期間は「七年間」です。確認記録は取引終了から七年、取引記録は取引から七年、それぞれ保存義務が課されます。単なる帳簿管理ではなく、捜査機関が後日参照できる証拠保全の役割を担っています。
第三の義務 疑わしい取引の届出
取引の相手方が犯罪収益の移転に利用していると疑われる取引を行った場合、特定事業者は速やかに行政庁に届け出なければなりません(法八条)。
この情報は金融情報機関であるJAFIC(犯罪収益移転防止対策室)に集約され、捜査機関への提供ルートに乗ります。法一三条によれば、特定事業者から提供された情報が刑事事件の捜査に資すると認められる場合、国家公安委員会から検察官など捜査機関に提供されます。
なお、弁護士と司法書士はこの届出義務については除外されています。守秘義務との調整です。
四、印象的な数字で見る犯収法
この法律を理解する上で、数字を押さえておくと記憶に残りやすくなります。
まず「七年」。確認記録・取引記録の保存期間です。消費税の税務調査の時効が七年であることと対応しており、当局が追跡調査できる期間を担保しています。
次に「二〇〇万円」。貴金属等取扱事業者については、一回の取引が二〇〇万円を超えない場合は特定取引に該当せず、詳細な本人確認や記録作成義務が発生しません(施行令第七条第一項第六号)。
この二〇〇万円という閾値が実際に悪用された事例があります。二〇二四年四月、東京・日本橋高島屋の「大黄金展」で盗まれた純金の茶わんは販売価格一〇四〇万円、田中貴金属の時価で約四九三万円でしたが、江東区の買取店は一八〇万円という安値で買い叩きました。二〇〇万円を超えると本人確認義務が生じるため、あえてそれを下回る価格に設定したと報道されました。その後この盗品は四八〇万円で別業者に即日転売されています。規制の穴を突いた典型的な事例として記憶に値します。
「四分の一超」は実質的支配者の判定基準です。議決権の二五パーセントを超える保有が、支配者認定の一つの目安となります。
「二〇〇七年」が制定年、「二〇〇八年」が全面施行年、そして「二〇二七年四月一日」が次の大きな改正の施行予定日です。
五、禁止行為と罰則
顧客側にも禁止行為が定められています。
本人特定事項を隠す目的で、自分の情報を偽ること。他人になりすまして、銀行の預貯金契約・資金移動業者の為替取引・暗号資産交換契約などのサービスを受けること、または第三者に受けさせるために通帳・カード等を譲渡・受領すること。これらが禁止されており、違反した場合は「一年以下の懲役もしくは一〇〇万円以下の罰金、またはその両方」が科されます。
特定事業者側が義務に違反した場合は行政上の措置が基本ですが、悪質な場合は刑事罰も適用されます。
六、二〇二七年改正で何が変わるか
二〇二五年二月、警察庁は二〇二七年四月一日を施行日とする大きな改正の方針を発表しました。主要な変更点は三つです。
第一に、本人確認書類の画像情報を送信する方法の原則廃止。第二に、本人確認書類の写しを郵送する方法の廃止。第三に、非対面で送付可能な書類の厳格化です。
一言でいえば、オンライン本人確認はマイナンバーカードの公的個人認証サービス、いわゆるJPKIに原則一本化されます。ICチップの情報を読み取ることで、なりすましのリスクを大幅に下げるのが目的です。
また二〇二四年六月に閣議決定された「デジタル社会の実現に向けた重点計画」にも、本人確認手法をマイナンバーカードの公的個人認証サービスに原則一本化し、身分証画像の送信方法や顔写真のない本人確認書類は廃止する旨が盛り込まれており、法改正との整合が図られています。
対面の本人確認についても例外ではありません。不正口座開設やなりすましの増加、本人確認書類の偽造・改ざんの高度化を受け、単なる目視確認ではなくICチップの読み取りによる真正性の確保が求められるようになっています。「対面だから簡単でよい」という時代は終わりつつあります。
七、宅建士・行政書士との関係
不動産取引に関与する宅地建物取引業者は特定事業者に該当します。したがって宅建士が業務を行う会社は、売買・交換・一定の賃貸取引において取引時確認の義務を負います。
行政書士も特定事業者に含まれますが、適用対象となる業務は法人設立等の特定の業務に限られています。また弁護士・司法書士と同様に、疑わしい取引の届出義務については除外されています。
宅建業者としては、顧客の本人確認・記録保存を確実に行うことが義務であり、取引記録は七年間の保存が求められることを常に念頭に置く必要があります。
まとめ キーワードと数字の整理
最後に全体を整理します。
犯収法は二〇〇七年制定、二〇〇八年全面施行の、マネー・ロンダリング対策の基幹法です。義務の三本柱は、取引時確認・記録保存・疑わしい取引の届出です。記録の保存期間は七年。貴金属等の本人確認義務が生じる閾値は二〇〇万円超。実質的支配者の判定基準は議決権の四分の一超。禁止行為の罰則は一年以下の懲役または一〇〇万円以下の罰金。そして次の大きな改正は二〇二七年四月一日施行予定で、本人確認はJPKI原則一本化に向かっています。
この法律は、取引の現場で日々動いている「誰がどんな取引をしたか」という記録を、社会全体の安全のために七年間保持し続けることを、事業者に求めているのです。

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